米大学で銃撃 「自由」を奪う銃声と、日本に近づくきな臭さ

社会

アメリカ西部ユタ州のユタ・バレー大学で10日、政治イベント中に著名な保守系活動家チャーリー・カーク氏が銃撃され、病院に搬送されたが死亡が確認された。現場は一時騒然とし、警察と連邦捜査局(FBI)が捜査を続けている。

大学側は「容疑者を拘束した」と発表したが、その後の報道では拘束は確認されておらず、情報は錯綜している。民主主義の象徴である大学講堂で言論が暴力に封じられたことは、米国社会に深い影を落とした。

トランプ大統領はSNSに「彼ほどアメリカの若者を理解していた人はいなかった」と追悼の言葉を寄せた。カーク氏は若年層の保守派をまとめる存在として知られ、昨年の大統領選でも影響を及ぼした人物だった。

有識者は「銃規制が不十分な限り、同様の事件は繰り返される」と警鐘を鳴らす。大学のように若者が集う場で発砲が起きることは、教育と社会への信頼を大きく揺るがす。

一方で、「銃声が子育て世代の心に影響し、子どもが安心して眠れない社会を生む」との声もある。また、「銃を置いて、まずは酒を飲んで語り合える文化を作るべきだ」といった理想論も浮上している。突飛に思えるが、暴力よりも対話を優先する姿勢を示していると言える。

そして、この問題は遠い国の話ではない。アメリカで銃が自由を奪うなら、日本でも憲法改正や安全保障の名の下に、同じように自由が奪われるリスクがある。銃声の向こうに見える戦争の足音を、私たちは無視できない。

自由を守るための手段が自由を奪っているという逆説。日本もまた、同じ矛盾に直面しているのではないだろうか。

出典:FNN/産経新聞

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